4月10日 瀬戸大橋開通

1988年の今日4月10に瀬戸大橋が開通しました。

私も、小学校4年まで香川県高松市に住んでいたため、

この話を目にして、投稿したくなりました。

 

それまでの交通

私は、瀬戸大橋開通以前に四国を離れてしまいましたが

橋が開通する以前の風景は、未だに覚えています。

 
橋以前は、宇高連絡船が運行しており

岡山県の宇野と香川県の高松の間で運行されていました。

運行そのものは、明治からすでに始まっていて、

国鉄への移管は、1949年6月1日となっています。

 
小さい頃から、鉄道好きだった私は

連絡船の船体に描かれた「JNR」のロゴマークを見るだけでも嬉しかったものです。

私が覚えているのは、4つの船で四国4県の昔の藩名を冠して

「讃岐丸」「阿波丸」「土佐丸」「伊予丸」となっていた事です。

自分が住んでいたのは香川県ですが、「讃岐丸」の船体はあまり好きではないグリーンで

むしろ好きだったのはブルーの「土佐丸」でした。

確か、「伊予丸」がオレンジで「阿波丸」は濃いピンクだったと思います。

(調べたら、讃岐丸が一番大きかったんですね…)

現在はインドネシアに売却され、なんと嬉しいことに現役だそうです。

私は記憶していないんですが、父は出張帰りに船上でうどんを食べると

四国に帰ってきたと実感していたそうです。

 

急行はホバークラフト

新幹線が、岡山開業するのに合わせる形で、宇高航路も高速化されます。

1972年11月8日、ホバークラフト「かもめ」、1980年4月23日に同じく「とびうお」が就航しました。

1986年からは、多客期のために高速船「しおかぜ」が就航しました。

「かもめ」は1980年に「とびうお」と交代する形で三井造船に返却、

「とびうお」は瀬戸大橋線開業前日の1988年4月9日に廃止、売却先が見つからず1991年に解体。

「しおかぜ」は1986年7月8日から瀬戸大橋線開業後も運行されていましたが、利用者の大幅減により

1991年3月16日に宇高航路そのものが廃止になり90年の歴史を閉じました。

ホバークラフトも高速船も乗りたいと思いながらも

乗る機会の無いまま四国を離れる事になりました。
 

そして瀬戸大橋

計画発表?か着工だったのか記憶が定かではありませんが、

なんとも大胆な計画だなぁと小学生ながら思った事を覚えています。

しかも、道路と線路の2階建てですからねぇ。

いろいろと政治的問題があったよう無かったような話も耳にします。

 
瀬戸大橋を一番最初に見たのは、新幹線の中からで、

その後、関西汽船で下を航行したこともありましたが、

実際に瀬戸大橋を渡ったのは数年前です。

岡山も高松も記憶には残っていますが、

橋で繋がっているという事にどうしても馴染めず

夫婦で初めて、鉄路、橋を渡った時にはほとんど口を開きませんでした。

なんとも複雑な気持ちだったからでしょう。

 

不便と情緒

ホバーや高速船で23分、連絡船では60分掛った航路で

確かに、橋で繋がっているよりよほど不便だったでしょうが、

無くなってしまうとなんとも寂しいものです。

情緒と利便性は、なかなか同居しにくいようで致し方ないのですが

面白みは無いですねぇ。

青函トンネルを通った時も感じましたが、

時間を掛けて到達したからこその旅情というものもあるわけで

沖縄以外、鉄路で繋がっている事には驚きますが、

遠くへ来たという実感は乏しくなりますね。

 
 
しかし、瀬戸大橋線開業からすでに29年も経っているんですね。

歳とりましたねぇ…